政治入門④参政権って何よ、有権者って何よ

政治入門

被選挙権を棄権してもけしからんくない

なんで投票を放棄するとけしからんのに、立候補を放棄しても何も言われないんでしょうね?

「25歳にもなって立候補しないとはけしからん!」
「それも一度も無いとは、それでも民主主義国家の成員か!」
あっても良さそうですよね?
そのうち始まるんでしょうか?

投票率の低下なんて、そもそもの立候補率の低さに比べたらなんてことないです。

以前ほったらかしにした公職選挙法の第百条の無投票当選もこれで一気に解決です。
「候補者がいるのに選挙を無効にしたら被選挙権の侵害」でどうでしょう?

何だって、こんなに立候補のハードルは高いんでしょう?
心理的な高さもさることながら、リアルに色々高いです。

もっと激低でも良いはずです。

誰に投票していいか問題の緩和に対してはほとんど唯一の対処法ですし、政治参加の実感が高まるはずです。

立候補のハードルの意味

供託金

当選を目的として行使するのが被選挙権です。
参政権のじゃない方である被選挙権ですが、目的を考えるとそもそも心理的ハードルの高いものです。
ただ、あくまでも心理的なハードルです。

当選については実質的なハードルがあるのは構造上当然ですが、立候補自体にも実質的なハードルが必要でしょうか?

本来、参政権は全ての有権者に公平な機会を保障すべきものです。
被選挙権も決して例外ではないはずです。

その観点から言えば、立候補に於ける実質的なハードルはできる限り排除する方向で制度設計されているはずです。

ところが、実際には立候補には実質的なハードルが設けられています。
それが、供託金です。

そして、私にはそのハードルの設置理由がよくわからないのです。

供託金設定の理由

供託金が設置されるに至った過程でどのような議論があったのかは不明ですが、一般的にその理由とされているのが、『売名や泡沫候補の乱立を阻止するため』です。

『売名』に関しては心情的に納得できます。
当選して国民全体の代表者として働く気もない上、選挙制度を不正利用して個人的な利益を得ようと目論むわけですから、私個人の心情としても「けしからん!」とは思います。

ただ一方で、売名での立候補が選挙の機能や結果に悪影響があるのかと考えると結構微妙な気がします。
そして、結果的に当選しないことは別に悪いことでもありません

仮にもし当選したとすれば、それだけで国会議員の資格はクリアです。
本人の個人的な動機など瑣末な話です。
有権者が信託するだけのオピニオンを提示していたわけですから、議員として働けばいいだけです。
当選したにも関わらず全く誠実に働かなかったとすれば当然問題ですが、既にそれに対する罰則はありますし、それで十分なように思えます。

『泡沫候補の乱立』に関しては、私には最早全く意味がわかりません。
一体、誰に何の悪影響があると言うのでしょうか?

確かに、立候補者数が増えれば、それに伴い選挙コストは増えるでしょう。
でも、それって被選挙権を公平に保障しようと考えるのであれば、必要な経費です。
被選挙権の公平性を損なってまで抑えるべきコストだとは思えません。

大体、『泡沫候補』なんてほとんど蔑称としか思えないような呼称がなぜ許されているんでしょう?
切実な訴えを持って立候補したかもしれない有権者を、当落という結果だけに基づいて揶揄するロジックがわかりません。

年齢

選挙権と被選挙権で有権者の年齢が違います。
選挙権が18歳以上なのに対し、被選挙権は国政の場合、衆議院で25歳以上、参議院では30歳以上です。

理由は「誰を代表にするかを選ぶより、代表になって実際に仕事を行う方が、より知識や経験を必要とするため年齢が高くなっている」らしいです。

ある個人においてはそうかもしれませんが、個人間を相対的に評価したとき、この言い分は馬鹿馬鹿しいほど無意味に感じるのは私だけでしょうか?

そもそも年齢は、選挙において投票者が判断する重要かもしれない要素の一つで、選挙前にあらかじめふるいに掛ける必要性があるんでしょうか?

次の記事からは、ちょっと妄想を爆発させて、さらにこの議論を深めたいと思います。